他人に気づき「粋」にいきましょう
最近世間を騒がせているさまざまな組織における問題・・・
スポーツ界におけるパワハラの問題
財務省における書類改竄やセクハラの問題
日本を代表する大手企業によるさまざまな不祥事
・・・などなど
組織における問題をあげればキリがありません。
それぞれその原因は異なります。が、共通しているのは、どれも客観的に見れば「そりゃ問題だろう」とか「普通なら考えられないよな」と感じることなのに、どうしてその時にそう感じられなかったのだろうということです。
その理由を考えていくと、見えてくるのは「利己的である」ということ。
人間、生きていくうえで自分のことを考えるということは当たり前のことだと思います。
しかし、それは自分だけでなく、すべての人に共通しているわけです。
そこで少し考えてみて頂きたいのは、仮にすべての人が自分のことばかりを考えていけばどうなるか・・・ということ。
おそらく、そうした人たちの集まりは、まとまりなく、争いが絶えず、秩序を保つことはできないでしょう。
人間、生きていくうえで、自分を大切にしていくことは大切です。
だから、自分のことを考えることも必要なことです。
でも、組織や職場、あるいは何かの集まりの中においては、自分を出し過ぎると上述したように秩序は保たれません。
だとすればどうすれば良いのか。
いろいろな方法があるとは思いますが、私は、組織や職場、集団(≒他人がいる場)では、ちょっとだけ他人のことも考えるということが必要なのではないかと思います。
他人のことも考える・・・とは、どういうことか?
他人のことを考えるということは、単に考えているだけでは、何の意味もありません。
つまり、相手にそのことが伝わらなければ意味はないのです。
しかし、伝えよう伝えようとばかりしていたのでは、それは押し付けであり、場合によっては、相手を不快な気持ちにしてしまうことでしょう。
だとすれば、どうすれば良いのか・・・。
それは、相手を不快にさせないということだと言えるでしょう。
昔、江戸しぐさというものがありました。
狭い通りで他人とすれ違う時、内側の肩を少し引く「肩引き」、雨の日に互いに傘を外側にかしげる「傘かしげ」
また、「肩目出し」というのもあります。狭い路地から大通りに出る時に、右を見て、左を見てから大通りに出るというしぐさです。(これは、自動車社会の現代も大切なことですね)
そして、こうした江戸しぐさなどの所作をきちんとできる人は「粋」な人と呼ばれ憧れの人とされていたそうです。
一方、こうした所作のできない人は「野暮」と呼ばれバカにされたとのこと。
こうした観点から考えると、最近、街を歩いていて「周りのことを見ているのだろうか?」と感じることが増えたように感じます。
例えば、横道から出てきた人や通路を横切ろうとする人がこちらの後ろを横切るのではなく前に割り込もうをするとことが多くないでしょうか。
先日も道を歩いていたら横道から出てきた自転車が、その交差する道をほぼ横切りかけている私の前の狭いスペースをそのままのスピードで通り抜けようとして危うくぶつかりそうになりました。
こうしたことは、些細なことかもしれませんが、他人のことも考えるということが欠如した利己的な行動と言えなくもないのではないでしょうか。
そう考えれば、そうした日常の場面場面で、他人がいる時には、他人の存在に気づくことを意識する。
そして、ちょっとした気配り、気遣いをする・・・つまり「粋」な所作を心がける。
このことが、他人のことも考えることにつながってくると言えないでしょうか。
そして、そういうことができるようになると、組織や職場、何かの集団においても、利己的にならずに他人に気配りや気遣いができ、それが相手にも伝わって良好な関係が築ける。
その結果、問題が起きにくくなるという好循環が生まれる可能性が高まると言えるでしょう。
普段から他人に気づき利己的にならないようにし、粋にいきたいものですね。
私も心がけます!
ご縁に感謝!
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。