謙虚と謙遜

今日も訪問頂きありがとうございます。

私が仕事をするうえで心がけていることがあります。

それは

誠実であること、謙虚であること、笑顔でいること、そして人の役に立つこと

ということです。

人事という仕事を長年していくなかで、失敗したこと、あるいはうまくいったことの経験から、こうしたことの大切さを強く感じたからです。

で、上記の言葉を事あるごとに頭に浮かべながら、きちんとできているかどうか点検するようにしています。
実際のところ、「あ、できてなかった(-0-;)」ってこともまだまだ多いので、常に意識して改善していきたいと思っています。

で、この心がけている中で難しいなと思う(どれも難しいのですが・・・(苦笑))のが謙虚ということです。

そこで今日のブログでは、この謙虚について少し考えてみたいと思います。

「謙虚」と「謙遜」似て非なるもの

謙虚と同じような言葉に「謙遜」という言葉があります。
どちらもへりくだることを意味しているので、同じことのように使ってしまいますが、実は「謙虚」と「謙遜」は似て非なるものといえます。

辞書を引くと次のように出てきます。

「謙虚」は、控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。

「謙遜」は、へりくだること。控え目な態度をとること。また、そのさま。
                               <デジタル大辞泉より>

いかがでしょうか?
違いがあると思いませんか?

「謙虚」には、すなおに他に学ぶ気持ちがあります。

「謙遜」には、控えめでつつましい態度でふるまうけれど学ぶ気持ちはどうかわからない

という違いがあります。
これは、ほんとうに似て非なるものだと思います。

「謙虚」には学ぶ気持ちがあるから、間違えたり、指摘されたら、心から謝れるし、自分と違うものからいろいろなものを吸収でき成長できるのだと思います。

一方、「謙遜」はどうでしょうか。
もしかしたら、学ぶ気持ちを持っているかもしれませんが、おそらく控えめでつつましい態度でふるまっているけれど、単に行動としてそうふるまっているということが多かったりするのではないでしょうか。
さらにちょっと悪意を持って考えてみると、「とりあえずこの場は…」だったり、「自分は間違ってないけど…」だったり、「自分には無理だからふらないでね」だったりという気持ちが裏側にあったりするようにも思います。

つまり、「謙虚」には反省と学ぶ気持ちがあり、「謙遜」にはそれがなく、自分は間違っていないけどという驕りか、自分なんか…という卑屈が潜んでいるということあり得るのだと思います。

私も謙虚であるようにしているつもりで、気づいてみたら謙遜になっていたりすることがあります。
謙遜も時には必要だと思いますが、この違いに気づいたうえで謙遜になっている時を分析してみると、やはりどこかに「自分は・・・だけど・・・」という気持ちがあったりしてドキッとすることがあったりします。

ほら、よくへりくだって下手に出ているんだけど・・・なんか・・・という人がいたりしませんか。
そういう人って、いつも必要以上にへりくだった表現をしていたり、何かあるとすぐ謙遜したりしていることが多かったりしないでしょうか。
だから、「謙遜」し過ぎることは周囲から嫌がられたり、信用されなかったりすることが多いので注意が必要なのだと思います。

「謙虚」と「謙遜」の違いを理解したうえで、できるだけ「謙遜」はせず「謙虚」さは持ち続けること、このことを心にとめておきたいものですね。

ご縁に感謝!
今日も読んで頂きありがとうございました。

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