AI

先日の報道で、AIを使ったコミュニケーションができる鉄腕アトムが作れるというものがありました。
NTTドコモ報道発表

最近よくある本格的な模型などが、毎月発売される雑誌を購入して組み立てていくというもののようですが、私たちが子供の頃夢中になった鉄腕アトムが玩具(?)とはいえ、実際に作れる可能性がでてきたというのは、何だかワクワクします。
講談社公式サイト

こうしたAIを使ったロボットというのは、高齢化社会が進んでいく中で、一人暮らしの高齢者が増えてくると、話し相手になったり、状況を遠隔で離れた家族に伝えられたりというように使えると、とても良いのではないかと思います。実際、私の義母も高齢で一人暮らしをしていますが、義弟がAIではないですが、撫でたりすると反応する猫のロボットを持っていたところ、少し寂しさが紛れるのか、話しかけながらかわいがっていたりします。こういうことからも、AIを活用して、どんどん会話ができるようになるロボットが安く買えるようになると需要はあるように思います。そう考えると、今回のアトムのプロジェクトはその端緒になるのかもしれないですね。

ところでAIというと、最近いろいろな形で話題になっています。
中でも、私が気になったのが、AIが小説や新聞記事を書いたという話題です。
なぜ気になったのかというと、「AIが書いたものを読んで、私たちは、その内容をどう感じ取ればよいのだろう」と思ったからです。

AIは、上述したように人の生活に活かせることがたくさんあると思います。しかし、その一方で、私たちの仕事のうちかなりの仕事が、AIによってなくなるだろうということが言われています。そしたことは、避けられない時代なのだと思いますし、私たちも、AIが発達しても必要とされるスキルや経験を身につける必要があると思います。でも、AIが小説や記事を書くということに関しては、私は、ちょっと抵抗を感じるのです。確かにAIが文章を作るという能力を身につけるという実験は必要なのだと思うのですが、文学や芸術といった領域の、いわゆる創作とか、創造というものにまで、踏み込ませていいのだろうかと感じるのです。

人間は、社会に関わりを持ち、役に立つことで、生きがいや幸せを感じる生き物です。だから、仕事、いや職業というものが、人には必要なのです。人に残すべき仕事まで、AIが奪ってしまうことがないよう願いたいものです。
繰り返しになりますが、今のAIに関する技術の進歩は素晴らしいです。これからもさらに進化していくことでしょう。この流れは変わらないと思いますが、便利と引き換えに、人が生きがいや幸せをなくさないよう、あまり行き過ぎないことを願うばかりです。

以前書いた「機心」のコラムでも触れましたが、機械や技術に心を支配され、人の心を失わないように気をつけたいものだと改めて思いました。

ご縁に感謝!
今日も読んで頂きありがとうございました。