律する

最近、組織の要職についている方々に関する事件や問題に関する報道が増えているように感じます。

官僚の汚職や不祥事
複数のスポーツ協会におけるハラスメントや不正の告発
アメフト部の悪質タックル問題に端を発したN大学の一連の問題

・・・など、続々と顕在化しています。

おそらく・・・ですが、こうした問題は、これまでの悪しき慣習として組織に存在していたことだと思います。

では、なぜそれが今になってこうして表に現れるようになったのか・・・
それは、社会的なコンプライアンス意識の高まりとSNSなどの普及によって誰もが情報発信できるようになったからだと言えると思います。
そうした背景からこれまで組織の中で収まって・・・いや、抑えてきたことが、収まらなくなってきたということです。

そして、ここで忘れてはならないのは、表に出なかったからと言って、これまでは良かったことなのか・・・と言うと、決してそういうことではないということです。
多くの場合、それを受けた人や見た人が不快や疑問を感じても我慢せざるを得なかっただけ・・・、良くないことだけれども、それに異を唱えることができなかっただけ・・・ということなのだと考えられるわけです。
そして、そうせざるを得なかったのは、要職についている人の権力に対する恐怖からだったということが多いと言えるでしょう。

では、どうしてそのようなことが起きてしまうのか・・・?

これは、上述した事件や問題を見てみるとわかるのですが、ほぼその要職についている人の私利私欲であったり、権力を失たくないなどの保身のためであったりするわけです。

しかし、そうした当事者たちも最初はそうしたことの是非はわかっていたはずです。
なのに、いつの間にかそうした非の行為に手を染めてしまう・・・
なんと不幸なことでしょうか・・・

では、どうしてそうなってしまうのか・・・

そこには、勘違いや慢心といったものが生まれてくるからだと言えるでしょう。
権力をはじめ力を持つと、多くの人がそれに靡いてきます。ちやほやもされるでしょう。
そうした時に、よほど自分を律する意識を持っていなければ、何でも自分の思い通りになるという勘違いや自分の力を過信し横柄になっていくという慢心が生まれやすくなるわけです。

自分を律するとは・・・

欲望や衝動を自分の意志で抑えることです。

つまり、自分で意識しなければできないことであり、どういう欲望や衝動を抑えるのか、言い換えれば、何をしてはいけないのかを予め考えておかなければ、自分を律することはできないわけです。
そういう意識を自分で気づいて持たなければ、人間は弱いので、どうしても欲望や衝動を抑えることはできないのです。

そう考えれば、会社や組織として、経営者自らはもちろん、管理職に対して自分を律するということについて理解し意識できる仕掛けを考えていくことも大切なことだと言えるでしょう。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

あらためて考えていきたいものです。

ご縁に感謝!
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。